持統天皇は吉野に生涯31回も行幸している。尋常ではない。吉野は彼女の原風景だったのか。持統天皇 - Wikipedia: "持統天皇(じとうてんのう・大化元年(645年) - 大宝2年12月22日(703年1月13日))は、日本の第41代天皇。女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日) - 持統天皇11年8月1日(697年8月22日))。名は鸕野讚良(うののさらら、またはうののささら)。
天智天皇の娘で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智娘(おちのいらつめ)。同母姉の大田皇女とともに、父の同母弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の妃となった。その正妃となり、草壁皇子をもうけた。 天智天皇の晩年には、皇位継承をめぐって夫・大海人皇子と父・天智天皇の仲が悪化。大海人皇子は東宮(皇太子)を辞し、天智の死後は大和国吉野に逃れた。持統はともに吉野へ落ち、壬申の乱まで吉野で過ごした。持統は、のち天皇に即位してからもたびたび吉野に遊んだ。"
万葉集には香具山の歌を残している:
持統天皇 - Wikipedia: "万葉歌人としても万葉集巻1雑歌28に藤原宮御宇天皇代(高天原廣野姫天皇 元年丁亥11年譲位軽太子尊号曰太上天皇)天皇御製歌として名を留めている。
「春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山」
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山(定訓)
春過ぎて夏ぞ來ぬらし白妙の衣かはかすあまのかぐ山(古来風躰抄)
この歌は小倉百人一首にも選ばれている。
「春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」小倉百人一首"
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